LOOSE GAME 03-8


冷たい……。

頬に冷たさを感じてあたしは目を覚ました。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなくて。
そして、目の前に山田さんの顔があるのに気がついて。
あたしは飛び起きた。

「いたっ……」

その途端に、体中が悲鳴をあげた。
口の中が粘ついて、自分の顔が3倍の大きさになったかの様な気分。

「大丈夫か?」

山田さんの囁くような声。
手にはアイスノンを持ってて。

あたしは周りを見回して。
全体的にグレーの印象をうける会議室。
蘇る記憶。

狂気の目のつんくさんに、めちゃめちゃに殴られてるあたし。

その途端、急激な吐き気を覚えて、あたしは咳き込んだ。
体が震えだした。

「吉澤……」

あたしのその様子に、山田さんが、あたしの背中に手を伸ばした。

「触らないで!!」

悲鳴のような声。
怖かった。
誰にも触られたくなかった。

山田さんは慌てて手をひっこめて、心配そうにあたしの顔を覗き込んだ。
そして、手に持っていたアイスノンをあたしに差し出した。

「顔、これで冷やせ」

あたしは震える手でそれを受け取る。
山田さんはあたしの向かいのパイプイスに腰を下ろすとがっくりと頭をうなだれた。

「悪かった……」

いつも高圧的な態度で、あたしたちに頭ごなしに命令ばかりしている山田さんのその姿に、あたしは唖然とした。まるで一回り体が小さくなったように見える。

「お前をこんな目にあわすつもりはなかった。つんくさんは……つんくさんはちょっと疲れてて……冷静な状態じゃなくて」

あたしは山田さんに手渡されたアイスノンをそっと頬につけた。冷たかった。

「いろいろと、娘。のビジネスも大きくなりすぎて、何ていうか、もう誰かの思い通りに動かすことも、ベストと思える道だけに進むこともできなくなってて……」

言い訳じみた口調。
さんざんあたしのこと小突き回しておいて。

今更。

そう思ったけど。
がっくりと肩を落とした山田さんを前にして、怒りの気持ちは湧いてこなかった。
ただ、虚脱感。
敵だと思っていた人間がこんなに小さいだなんて。

あたしは冷たく目の前の男を見つめることしかできなかった。
この男も、所詮、負け犬なんだ。

「正直、お前ひとりが何を騒いでもどうにでもできると思っていた。契約もあるし、契約まではお前を押さえつけておけると。今お前が抜けるのは本当に痛いし。この先の全部の予定が狂ってくるし」

そして山田さんは、上目遣いにあたしを見た。
あたしの表情を伺っている。
あたしがどう出るつもりか。

あたしは表情を変えない。
あたしの気持ちは凍り付いてしまった。

「つんくさんは、正直に言うと、もう、お前もわかってると思うけど、普通じゃないんだよ。仕事もできる状態じゃなくて。でも、今それが外に漏れることだけはどうしても避けたいんだ。外部の人間はもちろん、娘。達にも。だから、今日のことお前が黙っていてくれるなら、好きにしていい。契約のこともチャラにする用意もある。……もちろん考え直して、今までどおり娘。にいてくれれば一番助かるんだが」

何も、言うことはないと思った。

つんくさんが狂ってるのは分かってたし。
この世界が汚いことも十分分かってた。

娘。での生活は大好きだったけど。
もう、娘。にいることは耐えられないのもわかっていた。
娘。を変えることができないんなら、もう、いられない。
だってあたしを変えることはできないから。

でも、山田さんがあたしの返事を待ってるのに気づいて。
あたしはゆっくり口を開いた。

「今更、大人の事情を聞かされても、何度も言ったけど、そんなのあたしには関係ないから。つんくさんのことは誰にも言いません。言えるワケないです。多分、最後まであんた達には分かってもらえなかったけど、あたしは心から娘。を愛してますから」

もう、本当にイヤだった。
こいつらの世界に振り回されることが。
それに、そうしているうちに、いつのまにかあたし自身もこいつらのぐちゃぐちゃさに染まってしまいそうで。
それが怖かった。

話はなし。
もう一度もといた場所に戻りたい。
まっさらなあたしに。

「細かい話は、おいおい詰めていこう。ミュージカルはやってくれるな?」

山田さんがため息混じりに言った。
こいつだって悪人だってワケじゃない。
ただ弱虫なだけなんだ。

「娘。に迷惑をかけるつもりはないから。きちんとやります。でも、多分あたし自身もそこまでが限界だと思います」

言ってから、ふいに体に気持ちの悪い震えが起こった。
ああ、あたし今、娘。を辞める相談をしてるんだって。
何もかも覚悟の上だったつもりだけど。
現実になるんだ。

何故だか、梨華ちゃんの顔が頭に浮かんで、泣きたくなった。

「俺のこと、憎んでるんだろうな。さんざんきついこと言ったし」

山田さんが独り言のようにつぶやいた。
あたしは答えなかった。

そんなことないですよと言えるほど大人じゃないし。
憎んではいなかったけど、軽蔑してた。
それを言っても、もう、どうなることでもないだろ?

「その顔では、他のメンバーに言い訳もできないし、明日はリハだけだから休んでくれ。腫れが引いたら合流してくれればいいから」

山田さんと話しているうちに、顔といわず頭といわず、ガンガンと痛みだしていた。多分ひどい顔になってるんだろう。

その後、この顔じゃ家にも帰れないということになって、ホテルをとってもらった。家には山田さんから連絡を入れてもらった。急なロケで帰れなくなったと。

ホテルへのタクシーを待つ間、山田さんが言った。

「お前、娘。辞めること親とは相談したのか?」
「辞めるかも、とは言いましたけど」
「こっちには、最後の切り札があったんだ」
「……」
「ウチの出資で、お前のところの親父がイベント企画の会社を立ち上げる話が持ち上がってた」
「そんな話!あたし何も聞いてません!」
「まだ、決定じゃなく、検討中で。でも多分、お前が娘。を辞めるんなら、この話もなしになるだろう」
「汚い……、ウチのお父さんを人質にするつもりだったんですか!」
「……否定はしないが。でもお前の親父から持ちかけてきた話だ。家でもう一度話し合え。急いで答えを出すことはないんだ」

「あたしの気持ちは変わりませんから」

タクシーに乗り込みながら、震える声で言うのが精一杯だった。

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ホテルの部屋に入ると、あたしはベッドの上に倒れこんだ。
もう、何も考えたくない。

あたしの意思なんてお構いなしに、あたしを好き勝手に扱おうとしていた大人たち。あたしは必死でヤツらと闘ってきた。
あたしははみ出し者になった。
ずっと続くと思ってた道から外れた。
あたしはあたしでいたいから。

道から外れるのは怖かったし。
外れてみて、この先何が見えるのかもわからなくて。
でも、信じて。
信じるものは、あたし自身とこの握りこぶししかなくて。

でも、闘ってきたんだ。
それしか道がなかったんだ。

なのに。
なのに、お父さんまでが。
あたしを利用しようとしてたなんて。
あいつらと同じ人間だったなんて。

考えたくない。
信じたくない。

もう、これ以上耐えられないよ。
あたしはどこまで闘えばいいの?

眠りたい。
眠ってしまおう。

あたしには休息が必要なんだ。

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夢を見た。

あたしは走ってる。
息を切らせて。
足はもつれ、心臓は破裂しそうで、汗が飛び散る。

止まりたい。
でも止まれない。

道は下り坂になったり上り坂になったり。
アスファルトになったりぬかるみになったり。

体がバラバラになりそうなほどしんどくて。
わき腹は激しく痛んで、喉はカラカラ。

でも止まらないのは。

その先に小さく見えるあの人の背中。
あたしのヒーロー。

見失っちゃいけない。
たどり着きたい。

あの人のところへ。

そしてあたしは走り続ける。
見たことがあるような田舎道を。
見たこともないような外国のハイウェイを。

だけどあたしは、とうとう倒れこむ。
小さな石に足をとられてつまづいて。
無様に転んで起き上がれない。

どこからかテンカウントが響きわったって。
でもあたしは指一本も動かせなくて。

「あの人を見失ってしまう」

悔しくて、情けなくて泣き叫ぶ。
駄々をこねる子供のように、地面に倒れこんだまま。
こぶしでアスファルトを叩きながら泣き叫ぶ。

「泣くな」

突然、頭の上に、優しくて厳しい声がする。
あたしは涙に濡れた顔で声の主を見上げる。

あの人が、はいつくばるあたしのそばにしゃがみ込んでて。
くわえたタバコから細い煙がゆらゆらと揺れていた。

「見ろ」

あの人が、目を細めてあたしの後ろを指差した。
あたしは、その方向を振り返った。

そこに見えたのは、遥かあたしが駆けてきた道。
上り下り、大通りになったりけもの道になったり。
それでもあたしが駆けてきた道。

ただ、あの人の背中を追いかけて。
フラフラの体を引きずって駆けてきただけなのに。

それは結構な眺めだった。

あの人が優しい顔で笑う。
あたしも笑った。

それは我ながらとてもいい眺めだった。

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目が覚めると、真っ黒の闇だった。

今がいつの何時で、ここがどこなのか、一瞬分からなくて焦る。
こんなに深く眠ったのは久しぶりかもしれない。

あたしは、緑に光る枕もとのデジタル時計に目をとめた。
PM10:00。
そう、ここはホテルの部屋。

ゆっくりと気だるい体を起こして、闇に閉ざされた味気ない部屋を眺める。
頭が重くて、そっと頬に触れると、涙に濡れていた。

シャワーを浴びよう。
何もかも洗い流そう。
そして、あの人に逢いに行こう。

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あの人がどこにいるかなんて知らない。
もしかしたら家にいて。
もしくはどこか遠くにいて、会えなんてしないのかもしれない。

でもあたしは夜の街に飛び出していた。

ホテルのシャワールームで見た自分の顔にはさすがぎょっとした。
青紫色に変色してはれ上がった頬。
切れた唇。
ひどい顔。
でも、おかげでだれもあたしが「モームス」だなんて気がつかない。

あたしは、あの人たちと会ったことのある店をしらみつぶしに歩いて回った。
あの人の居場所を聞いた木崎さんへのメールの返事はまだ来ない。
自分の都合のいいときだけ会いたいなんて、虫のいい話なのかもしれない。

でも、会いたい。

ライダースに腫れた顔で歩くあたしをすれ違う人はよけていく。
中にはからかいの口笛を吹く男達もいる。
でも何も気にならなかった。

夢の光景があたしの心を暖めた。
あの人と笑って眺めた、あたしの道。

最後の心当たりの店を覗いて、でもそこにもあの人の姿はなくて。
さすがにがっくり肩を落とした。
星のない真っ暗闇の夜空を仰いだ。
そうそう上手くはいきはしない。

ポケットからケイタイを出して時間を見る。
午前1時。
終電ももう行ってしまった。
ホテルに帰る気もしない。
明日も仕事がないなんて。

さぁ、あたしはどこに行こう。

変に自由で、それでいて寂しい気持ち。
どこにでも行けるけど、どこにも行くところがない。

その時、ケイタイにメールの着信。
あたしは急いでメールボックスを開く。

『つかまりましたー。新宿「金造」でーす』

それは木崎さんからのメール。
すれ違いだったのか、その店はあたしが一番最初に覗いた、彼らのお気に入りの居酒屋だった。

あの人に会える。

体が熱くなった。あの人のもとに飛んで行きたい。
あたしはすぐにタクシーを拾おうとして、でも、やめた。

タクシーなんて18の小娘が一人で乗るものじゃない。
あたしは「モームス」じゃない。
しかも、あたしは、一番大切なあの人に会いに行くんだから。
ただの彼らを崇拝する小娘として。
だから、歩いていこう。
この足で。

あの人の前で、いっこもずるっこはしたくない。
むき出しのあたしでいたい。

だから、お手軽に会いたくない。

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新宿のその店まで、結局1時間以上かかった。
最近は車ばっかりで歩きなれていないあたしの足は軽く痛んで、息も上がっていた。あいつに殴られたところがじんじんと痛みだしてきてたけど、でも平気だった。それどころか、歩いているうちにどんどん頭がはっきりしてきて、一歩ごと本当のあたしになっていくみたいな気分だった。
車のスピードじゃなく、歩くスピードで見る風景は何もかもはっきりしていて、綺麗なものばかりじゃないけど今まで見えなかったものが見えてくる。
本当のあたしも見えてくる。

店の前で足を止めて、ちょっとだけ息を整えた。
そして、紺色の地に「金造」という白抜きの筆文字ののれんの奥の引き戸をゆっくり開けた。

それほど大きくない店内の奥のカウンターにあの人を見つける。
白い革ジャンの丸めた背中。
くしゃくしゃと柔らかそうな髪の後ろ頭。

「いらっしゃいっ!」

店長のおいちゃんの威勢のいい声があたしを迎えてくれた。
あたしは笑顔でおいちゃんに頭を下げた。
おいちゃんの声にカウンターの背中が振り返った。

「なーん、遅か」

あたしを見て、あの人が言った。
あたしを待っててくれたってこと?
そういえば彼は一人で。いつも一緒のキーさんや友達もいない。
あたしは、いつもみたいに彼がここで仲間と飲んでて、そこにいつもみたいにジャマをしにきたつもりだったのに。

隣の席に座れというように目で合図する彼に、あたしの心臓は跳ね上がった。
何で?どうして?ありえないよ。

あたしはすごすごとカウンターの彼の隣に腰掛けた。

「なんじゃーお前、その顔。ケンカでもしようと?」
あたしはへらへら笑った。
「ちょっと」
「相変わらずよーわからんガキやの」
彼はおいちゃんに生ビールを頼んだ。彼の前には焼酎の緑茶割り。そしておいちゃんが差し出したよく冷えた中ジョッキをあたしの前に置いた。
「まぁ飲めや」
「お酒は……」
辞めることが決まってても、あたしはまだモーニング娘。で、お酒を飲むことはできなかった。万一写真にでも撮られたらシャレにならないから。
「その顔じゃったら誰もお前がアイドルなんて分からんけん、飲んどけ。それに、飲みたいっちゃろ?」
まるで何もかも見透かしたように言われて。
確かに飲みたい。
っていうか、差しでこの人の隣に座ってるなんて。お酒でも飲まなきゃ緊張してまともに話すことすらできねぇよ。

あたしは、目の前に置かれたジョッキを握ってぐいっとあけた。
キンキンに冷えた冷たくてほろ苦いビールが、ここまで歩いてきて火照ったあたしの体の中を駆け降りる。
「おお、いい飲みっぷりっちゃ」
彼の笑いを含んだ声。
胃の中がかーっと熱くなった。

「あたしのこと、待ってて……?」
目の前のジョッキが半分空いた頃、あたしは思い切って彼に尋ねた。
まだ、まともに彼の顔が見れない。
だからカウンターの上に置かれた彼のごつごつした手。指のドクロの指輪と刺青をずっと見てた。それでも一緒にいること記憶に刻んでおきたくて。
こうして二人っきりで飲んでるなんてちょっと現実じゃないみたいだ。
「おう。木崎からお前が俺を探しちょおって連絡入ったけん。デートほっぽらかして来てやったのに、お前なかなか来んし」
「デ、デート?マジで?」
思わず、まともに見れなかった彼の顔を見てしまった。
だって、あたしの中の彼と「デート」って言葉があまりにも不釣合いで。
彼は目を細めて笑ってて。
「さぁな」
あたしは慌ててカウンターに視線を戻した。
「でも、何で……」
「何が?」
「何で、あたしの為、わざわざ」

タバコに火をつける一瞬の間。

「誰にも言うなよ?博多でお前と会うた次の日。木崎にひっぱられて見に行ったっちゃ。お前らのコンサート」
「ええええええええええええっ!」
思わず大声を上げて、彼に頭をはたかれた。
「あほう。声がでかい」
「だっ、だって……!」
「結構長く生きてきたけど、あんなこっぱずかしい思いしたんは初めてっちゃ。何やガキはうようよしとうわ、特攻服着た気色悪い男はおるわ、俺どんだけ悪目立ちしたことか」
あたしはゲラゲラ笑った。
だって、あの、娘。のコンサの会場に。
いつものROCKスタイルで。
ミニモニのコスプレした子供達に囲まれて途方に暮れた顔してる森やんを想像したら。
「ええか?誰かに喋ったらぶっ殺すけんね。木崎が、俺がお前にいろいろ言うようなら、ちゃんとお前のこと知っとく義務があるとかなんとかごちゃごちゃ抜かしようけん仕方なく行ったっちゃん。俺がガキにまみれてアイドルのコンサート見たちばれたら俺は立ち直れんばい」
でも、そう言う彼の声も笑いを含んでて。
お腹を抱えて笑い続けるあたしを「笑いすぎじゃ」と睨んだ。

「やけど。お前らのやっとう音楽のことは俺にはわからんけん、何も言わんけど。あんとき、お前のマイクだけ入っとらんかったろ。何がどうなってそうなったかは分からんけど、お前がシャレにならん状態なんはよう分かったけん」

彼の言葉に心臓が止まりそうになった。

そうだった、あの福岡公演であたしは声を奪われて。
あの時の絶望。
そして、それをこの人に見られていたなんて。

誰にも届かない叫び声を上げるあたしが頭の中にフラッシュバック。
誰にも届かないって。
自分の耳にすら届かなかったのに。

この人にだけ届いてたなんて。

それが、何故だかすごく恐ろしいことみたいに体が震えた。
わからない。
何でそんな偶然が。
何で。

「だけん。お前が俺が思っとうより追い詰められて限界やち分かったけん。そんなお前が俺に会いたいって言うとうってことは、多分ぼろぼろになっとうやろう思うたけん。待っとったっちゃ」

涙が出そうになった。
赤ん坊みたいに、わーわーと声を上げて泣き出しそうに。

圭ちゃんの最後のコンサで歌うためにあいつ等の前にはいつくばらされたこと。
狂人と化したつんくさんにめちゃくちゃに殴られたこと。
お父さんがあいつらの仲間になろうとしているかもしれないこと。

全部を話して、彼によしよしと慰めて欲しくなった。
助けてって懇願したくなった。

でもあたしは、その代わりに目の前のジョッキに残ったビールを一気に飲み干した。
涙を流す代わりに。苦いアルコールを体に流し込んだ。

夢の中で彼と笑って見た。
あたしの駆けてきた道のり。

それが素晴らしかったのは、あたしの、自分だけの足で歩いてきたからだ。

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あたしは一生懸命話してた。
もともと話すのはそんなに得意じゃない。
言葉もあんまり知らないし。
とくに自分の気持ちを相手に伝えるのは苦手で。
ちゃんと伝わってるかいつも不安になるし。不安になるから言葉が出てこなくなる。
だから、ちょっと前までのあたしはいつも本当の自分の気持ちを話す代わりにふざけてきた。
ふざけて、相手を笑わせて、その場をごまかして。

でも、ぐるぐると頭の中を駆け回り始めたアルコールのお陰と、それから、目の前のごまかしを嫌う真っ直ぐな人に自分の思いを伝えたくて。
あたしは一生懸命言葉を探して話してた。

「しんどいこといっぱいあるけど。それはあたしの問題だし。誰かに助けてもらったりしたくなくて。森やん優しいから、こうやって来てくれてすごく嬉しくて。本当は今も心臓ばくばく言ってるし。えっと。何か、もう何もかも嫌になって全部投げ出したくなるときもあるし。すごい自分が弱くて嫌になったり。でも、そういうとき森やんのこと思ったらまだがんばれるって思うし。

「俺はそんな立派な人間やなか。ただ、お前みたいに俺らの歌が好きやって言うてくれて、俺らの周りうろちょろしちょうヤツは他人みたいな気がせんし。ほっとけやんけん。話くらいなら聞いてやろうち思うだけたい」
彼は照れたように笑って言った。
「違う。違うよ。あたしはたまたま森やんのそばをうろちょろすることができてラッキーだっただけで。こうやって話ができたりするのすっごく嬉しいし夢みたいだけど。でもそんなこと関係なくて」
話しているうちにどんどんアルコールが、あたしの大して働き者でもない脳みそをより一層ぐしゃぐしゃにしていって。
「あたしは森やんがどんな人間だっていい。こうやって話を聞いてもらえなくても。そばにいてくれなくても。なにやってても。ただ、そこにいてくれたら。そこに向かってがんばっていけるから。だからまだ、全然大丈夫だから」
あたし何言ってるんだろう。
憧れの人を前にして。なに語ってるんだろう。
でも、止められなくて。

「森やんはいてくれるだけで、いい」

でもそれは本当に正直な気持ちで。
分かって欲しかった。
彼の存在が、彼の歌がどんなにあたしの力になっているか。

「なーん……」
彼はあたしの言葉に困ったような呟きを漏らした。

その時背後から賑やかな声がして、振り返るとキーさんと何度か見かけたことのある彼らの友達の男の人が店に入ってきてた。

「おー!森やん、おったとー?」
キーさんもあたし達に気づいて声をかけた。あたしはキーさんに頭を下げた。
「なんっちゃあ、ヨシザワかー。めずらしか組み合わせったいねぇ。つーか、なんちゅう派手な顔しとろぉ?お前」
キーさんはここに来るまでにずいぶんガソリンを入れてきたみたいで、すでに陽気で声のトーンもずいぶん高くなっていた。
「ヨシザワに口説かれようたところっちゃ」
森やんがキーさんに答えた。
「口説いてなんかないですっ!」
あたしが慌てて答えると、森やんはゲラゲラ笑った。
「そうかぁ?俺はあーんな熱か告白されたんは生まれて初めてったい」
あたしはカーッと顔が熱くなるのを感じた。
「よかねぇ。こーんなオヤジになっても若か女の子に口説いてもらえるっちゃ。うらやましか話ったい」
「やけん。ヨシザワごたクソガキじゃーのぉ。もうちょっと出るとこば出た大人の女やないと手ば出す気にもならんばーい」
「ひっでー!!」

わっと空気が明るくなって、いつもの調子に戻った。
みんなしてあたしをからかってオモチャにする。
あたしはわざとわーわー大騒ぎする。

「ヨシザワ、今日は飲んどるがか?おっしゃええぞ、もっと飲まんかい」
キーさんに勧められて、どんどん飲まされて。
いつの間にかビール瓶を持たされて店中のお客さんにお酌をして回らされたりしてた。
でも楽しかった。
酔っ払って、自分が自分じゃなくなる感じも。
彼らと一緒に、大声を上げて、大笑いして、大騒ぎして。

ヤなこと、しんどいこと。
今だけは全部忘れたかった。

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5時前に店が閉店になって、あたし達は外に出た。
いつの間にか雨がざーざー降ってて、辺りはまだ薄暗かった。
キーさんは酔いつぶれた友達をタクシーに押し込んで、一緒に帰っていった。

「ヨシザワはどうすると?」
店の軒下で雨をよけながら森やんがあたしに聞いた。
「始発待って、電車で帰る」
ホテルに泊まっていることは言ってなかった。そうしたら、今までのこと全部説明しなきゃいけなくなるから。
詳しいことはあまり話したくなかった。
あたしの問題だし。
同情されたくなかったし。
何より、冷静にそのこと話せる自信がなかったから。

「ようさん稼いどろうが、タクシーば使え」
「クソガキがタクシー乗るなんて生意気だもん」
「ほー、いい心がけっちゃあねぇ。俺はじじぃやけんタクで帰るったい」
彼は空車のタクシーを探して、車が雨を弾いて走っていく通りに目を向けた。
それを合図に、あたしは雨の中に足を踏み出した。
「森やん、今日はありがと」
照れくさくて、小声で言った。
彼は軽く手を上げた。

いち、にぃ、さん。
数歩歩いて、あたしは彼に振り返った。

「あたし、多分、娘。辞めるから。そしたら、もっと森やん達の周りうろちょろしてやるからねー」

笑って、そう言った。
笑って言ったのに、何だか泣きそうになっちゃって。
あたしは慌てて彼に背を向けて、再び歩き出した。

平気。
全然平気。

あたしはひとりでやれる。
彼らの優しさに触れたから、ちょっと弱気になっただけ。
娘。を失うことも、自分から決めたこと。

あの人にパワーを貰って。
あたしは明日からもちゃんとやっていける。

何でもない。
こんなの何でもない。
大丈夫。
全然大丈夫。

ひとりで、やっていけるんだ。
今、あたしの頬を伝ってるのは涙なんかじゃない、雨なんだ。

ぐいと食いしばった奥歯に鉄の味がした。

「そこまで、がんばらんくていい」

ふいに優しい声がして、腕をつかまれて。
振り返った。

雨に濡れたあの人が、どこか痛そうな顔をして立っていた。

「誰もお前を助けてやれん。やけど、甘えられるときに甘えとけ」

ぐいと頭を引き寄せられて。
まるでぶつけるみたいに乱暴に、額を彼の肩に押し付けられた。

お酒と雨とタバコの匂い。

体が嗚咽に震えた。
あの人の、あたしの肩にまわした手がそれをそっと押さえてくれた。

「お前のステージ見て。お前がどんなにあそこを愛しちょるかわかった。どんなに真剣かも。やけど、あそこはお前には狭すぎる」

ただ向かい合って棒立ちになったまま。
あたしは彼の肩に額をつけて。
彼の温かい手があたしの肩に軽くかけられてて。
それだけなのに、今このときだけは守られてるって思った。
今だけは、握り締めたこぶしを、食いしばった歯を、緩めてもいいんだって。

あたしは声も無く泣いた。

この人はいつもあたしを泣かせてくれる。
泣くことすら上手にできないあたしを。

「お前は、こっちの世界に来い」

それ以上、あの人は何も言わなかった。

ただ、激しい雨があたし達を叩きつけていた。
でも、雨はとても温かかった。

今まで、あたしを痛めつける冷たい雨しか知らなかったのに。
あの人と二人で打たれる雨は、とても、とても、温かかった。


つづく


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